November 2004 アーカイブ

ノキア・ジャパンから新機種「NOKIA6630」の日本語版が発表された。

NOKIA6630

W-CDMAと、GSMトライバンド(GSM900/1800/1900)対応なので、アメリカにもアジア・ヨーロッパにも持ち出し可能。もちろん日本国内でも使える。

SIMフリーのノキア・スタンダード・バージョンと、ボーダフォンユーザ限定版のボーダフォン・バージョンとが用意される。ノキア・スタンダード・バージョンはEメールクライアント(POP3/IMAP4対応)搭載。また、ステレオヘッドセットで音楽が楽しめるミュージックプレイヤー機能も搭載しているとのこと。

ボーダフォン・バージョン(Vodafone 702NK)は、Vodafone live! に対応しており、SMS/MMS、Web、Vアプリが使える。

先日香港で買ってきたプリペイドSIMカードをこいつに挿せば、日本でも有効利用できるし、もちろん海外(北米含む)にそのまま持ち出して使うことも可能というわけだ。

ボーダフォン・バージョンは年内に出荷予定とのこと。ノキア・スタンダード・バージョンは来年初頭に発売予定。

ノキア・ジャパン ホームページ

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香港大仏は世界一の大きさだという。ランタウ島に寶蓮寺(ポーリン寺)という禅寺があって、そこに天壇大佛という露天の大仏さまが座っているのだそうだ。梅窩から近そうだし、空港に戻るまでに立ち寄ってみようと思って、この朝は早めにホテルをチェックアウトした。

梅窩(ムイウォー)から昂平(ゴンピン)行きのバスに乗れば、途中に寶蓮寺のバス停があり、そこで降りると大仏まで行けるようなのだが、いかんせんバスの本数が少なく、1時間~1時間半に1本というありさま。この日は15時の飛行機に乗らなければならない。国際線なので、少なくとも3時間前までには空港に到着しておきたい。天壇大佛が開くのは10時からなので、30分ほど大仏を見たとして、10時半に寶蓮寺を出て梅窩に戻り、そのあと機場行きのバスに乗り換えて空港に着かなければならない。梅窩~機場間の所要時間は約40分。寶蓮寺~梅窩間はよくわからないが、かりに30分を見込んだとしても、バスの本数から考えて、寶蓮寺から空港まで1時間半で移動するというのはどう考えても無理がある。

ということで、今回は残念ながら大仏を見るのは断念し、そのまま梅窩から機場行きのバスに乗って空港へ向かった。

バス停を出るといきなりアップダウンの連続である。ランタウ等は急峻な山が多く、クルマが1台すれ違えるかどうかというような狭い道の急な上り坂を超低速で走る。道路もコンクリート舗装で、バスはガタガタ揺れる。道端には牛が放し飼いで歩いていたりしてなかなか牧歌的な風景である。

30分ほどこのようにして走っていると、東涌(トンチュン)の街に出た。ここはニュータウンであり、今までとは打って変わって整備された道路と高層住宅が現れる。

東涌を10分ほど走っていると、機場の敷地内に入る。この敷地内をぐるぐると走り回り、ようやくバスの降り場に着いた。

空港に着いたのは朝の9時半ごろ。バスターミナルからエレベーターでいっきに7階の出発ロビーに上がる。さっさとカウンターでチェックインしようと思ったのだが、チェックイン開始時間は12時50分からだという。すっかり暇になってしまい、空港の建物内をぶらぶらしたり、土産物屋をはしごしたりした。

売店で新聞や絵葉書などを買う。だいたい香港の新聞は、一面トップに事故処理現場の写真を載せるような超過激な作りになっている(さすがに死体の部分だけはモザイクがかかっていたが)ものなのだが、この日の新聞の一面。

広東語なので正確にはよくわからないが、深圳に行った香港人の旅行者の男性が、現地の女性に麻酔薬を仕掛けられて殺され、金を奪われたとか書いてある。取締りの緩い中国本土ではこの種の麻酔薬が簡単に手に入るそうで、ターゲットの飲み物などに混入されて昏睡状態にさせ、その隙に金を奪うという手口が、これまでわかっているだけでも5件発生したのだという。まことに深圳は何が起こるかわからない。行かなくて正解だった。

空港の外には、中華人民共和国の国旗がはためいていた。もう香港も中国の一部なのである。ただ、中国本土ではなく香港を旅行先に選んだのは正解だったかもしれない。文革の嵐ですっかり変質してしまった本土よりも、香港のほうが古き良き時代の中国情緒に触れることができたのではないだろうか。

土産を買っていると、すっかり昼どきになってしまったので、上の階にあった上海点心レストランで、最後の本場中国料理を味わう。もうすっかり胃が重苦しくなっていたので、粥と肉饅だけですませた。それでも青島ビールだけはしっかり頂いたのだが。

昼食を終えると、全日空のカウンターが開いたので、チェックインして搭乗券をもらい、そのまま出境手続きをすませて手荷物検査を受けた。ここの手荷物検査もアメリカ並みに厳しく、金属探知ゲートでひっかかった僕はすぐさま係員に脇へ寄せられ、両手を挙げさせられて身体のすみずみまで金属探知棒でチェックされた。

ようやく出境エリアに出たので、免税店に立ち寄ってお買い物を始めた。これまで港内では(HSBCでの預金を除いて)交通費含めても1000ドルも使わなかったのだが、ここで財布の紐が一気に緩む!免税品だけで1500ドルぐらい使ったんじゃないかな。買ったのも怪しい高粱酒や霊芝酒みたいなものばっかりだった......。

香港の空港はターミナルビルが1つしかなく、出境手続きの手前まではこじんまりしているのだが、出境エリアの内部は異様に広い。免税品店も数が多く、さんざん買い物をすませてから出発ゲートにたどり着く頃にはすっかり疲れ果ててしまった。そういう人たちを見越して出発ゲート近くに「足ツボマッサージ」の店が用意してあるというところも、香港らしい商魂か。

ゲートのベンチに腰掛けていると、空港職員のお姉さんが寄ってきて、アンケートを取らせてほしいと言ってきた。内容は、今回の訪港の目的、訪問した場所、利用した交通機関、港内で使った金額、訪問した観光地の全体的な印象(5段階評価)などなど、10分程度のものだったが、こうやって少しでも香港を良くしていくために観光客から聞き取り調査を熱心にするという姿勢は、好感の持てるものだった。

15時前にゲートがオープンして搭乗が始まった。15時25分に飛行機がブロックアウトしたのだが、離陸待ちの飛行機がタクシーウェイを数珠繋ぎに並んでいて、結局離陸したのはブロックアウトから20分後のこと。しかしそのあとの飛行はとても速く、あっという間に台湾を通過し、東シナ海を抜け、鹿児島~土佐清水~串本と通り過ぎて、3時間半ほどで成田近辺にたどり着いた。機内食を食べて一息ついたら、もうベルトサインが点灯し、あれよあれよという間に成田空港に着陸してしまった。

入国審査~税関検査はあっという間に通過し、着陸から15分もしないうちに到着ロビーから外に出られたのだが、それから次の成田エクスプレスまで1時間ほど待たされ、結局帰宅したのは成田に着いてから3時間後のことだった。

非常に充実した今回の旅であったが、やはり2泊3日というのは厳しい。もう1日欲しいところだった。しかし香港の様子もわかり、携帯も買い銀行口座もできて香港での足がかりも出来たということで、今回の訪港はそれなりに意義のあるものだったと思う。日本の延長のように気軽に行くことができることがわかったので、また訪れてみたいものである。もちろん次回は大仏を見るのだ。

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翌朝、ホテルの周辺を散歩してみる。のどかなビーチを犬を連れて散歩する人がいたりする。ここは香港とはいっても喧騒な雰囲気ではなく、千葉か和歌山の海の家といった感じ。

Silvermine Beach

ホテルの裏手を回ると、トタン張りのぼろぼろの家々が連なり、ばあさんが手押し車を押しながら道を歩いている。そして地元のおばちゃんが「ネイホー!」などと言いながらご近所に挨拶して回っている。ここにも、人々の日常の生活があった。

さて今回の香港旅行の大きな目的は、香港の銀行に口座を開設することだ。香港は日本から一番近いオフショア地域と言われており、日本の銀行よりも税制面でメリットが大きいといわれている。また日本の銀行の格付けやひいては政府の信頼性などを考え合わせると、香港あたりに資産の一部を疎開させておくのも悪くないと思われる(まあ僕の「資産」などたかが知れているが)。

香港にもいろいろ銀行があるが、一番代表的なものの1つは英国系の銀行であるHSBC(香港上海滙豐銀行)で、そこに「Easy Savings Account」という口座があり、外国人でもパスポートと住所を証明する書類があれば誰でも口座開設できる。5000HKD(約75000円)以上入れておけば口座維持手数料が免除されるし、インターネットバンキングも可能なので日本に戻ってからも中身をいじることが可能である。ATMカードも発行されるし海外送金制度を使えば日本からでも不自由なくお金の出し入れができるのだが、口座開設だけは香港に出向いて行わなければならないので、今回の訪港をきっかけに口座開設をすることにした。

フェリーで梅窩(ムイウォー)から中環(Central)へ向かう。中環にそびえたつHSBCビルに入っていった。

そこのATMでお金を下ろし、総額5000HKDを握り締めて入口に立っている受付のお兄さんに「I would like to open an Easy Savings Account.」と声をかけた。パスポートと住所を照明するものを見せるよう言われたので、持っていたアメリカの銀行の小切手帳の住所欄を示すと、「オッケイ」と言われて専用ブースへ案内された。

ブースでは40歳ぐらいの女性が口座開設を担当した。「あなたは香港の住民ですか?」「香港で働いていますか?」などと質問してくる。いずれも違うと答えると、パスポートと小切手帳のほかに、「driver's license」を見せるよう言われた。日本の運転免許証でいいですか?と訊くと、それでいいという。免許証を出すと、それを受け取って免許証番号や住所欄などをチェックし、

「小切手帳の銀行からのbank statementはありますか?」

と訊いてきた。そんなものは用意して来ていない。すると、

「本来なら見せてほしいところですが、パスポートと免許証を提示してくれたので、口座の開設は可能です」

と、OKしてくれた。

そのあとは口座開設用のフォームに指示されたことを書き込んでいく。名義人の名前から住所・電話番号に始まり、勤務先とその連絡先、平均月収、独身かどうか、今後の取引利用予定回数、月間予定預け入れ・引き出し金額、などを書いていった。中には「口座開設の目的」「資金の出所」なんていう欄もあって、なんて書いていいのか一瞬とまどったが、目的は「PERSONAL SAVINGS」、資金の出所は「MY OWN CASH」などと適当に書いておいたら、無事に受理された。

担当の女性は書類を持ってブースを離れていき、しばらくして戻ってきて

「ATMカードは登録した住所に後日郵送されます。有人窓口で引き出しなどの取引をするとその都度20ドルが手数料として差し引かれます。また残高が5000ドルを下回ると月40ドルの手数料が引かれます。それではこのあと反対側にあるカウンターに行って預け入れをしてきて下さい」

と言って、A4版2~3枚ほどの説明書類と一緒に、真新しい通帳を渡してくれた。

僕は礼を言って席を立ち、教えてもらった預け入れカウンターに向かった。カウンターがいっぱいあってどこに行けばいいか迷っていると、カウンター越しに行員のお姉さんが手招きしてきたので、そこへ行って5000ドル預金をしたい旨伝えると、手続きをしてくれた。

無事に通帳に5000ドル分が記録され、僕の資産の一部は香港に残ることとなった。まあ5000ドルごときで資産もクソもないが。

HSBCビルをあとにして、中環のスターフェリー乗り場に行き、香港名物のスターフェリーに乗って尖沙咀(チムサアチョイ)に行く。

Bayside view

尖沙咀のフェリーターミナルを降りて、すぐ前の星光行(Star House)ビルに入ってみる。中国風の独特の匂いが鼻を衝く中、PC関係のショップや中国料理店などが入っており、なかなか面白い。

昼食どきになったので、そこの4Fにある「翠園大酒棲.(Jade Garden)」に入り、飲茶。やはり点心は油っぽくて、なかなか食べられない。美味いことは美味いのだが。ということでひたすら中国茶と青島ビールをガバガバ飲んでいた。

食後は星光行ビルを出て、Salisbury Roadを東へ歩いてみた。左手にかの有名なペニンシュラ・ホテルが見えた。1泊2000HKD(約30000円)もする超高級ホテルである。正面には大きな噴水があり、石造りの立派な建物が威容を放っている。

ペニンシュラ・ホテルを左に折れると、彌敦道(ネイザン・ロード)である。

Nathan Road

中環の整いぶりとは対照的に、この界隈はかなり猥雑な雰囲気である。重慶大廈(チョンキン・マンション)など、ビルの外壁がはがれおち、まるで解体中かと見まがうほど荒み切っている。怪しげなインド人やマレー人みたいなのがそこここに立っており、歩いていると声をかけてくる。なるほどこんなところで買い物袋いっぱい抱えて歩いていると狙われるわけだ。身の危険を感じ、さっさと地下鉄の入口から下に降りる。

次なる目的地は黄大仙廟(ウォンタイシンミュウ)。かなり大きな道教の寺院とのこと。なかなか日本ではお目にかかれないものだし、ご利益のありそうなところに行って拝んで来るのも一興かと思って。

尖沙咀から赤い地下鉄(荃灣線)で3駅行き、旺角駅まで行くとホームの向かいに緑の地下鉄(觀塘線)の乗り場があるので、そこで觀塘線に乗り換えて、黄大仙駅で降りる。駅の出口を上がると、すぐに黄大仙廟の入口になる。

Wong Tai Sin Temple

おじさん、おばさんから若い女の子まで、いろんな人たちがお参りに来ていた。門前で売っている長い線香の束のようなものを買って中に入り、参道の脇に置いてあるガラス張りの油灯の中で燃えている小さな炎に線香の束を突っ込んで火を移し、煙立つ線香を捧げ持って本殿に進み、深々と3回、お辞儀をして拝礼するのだそうだ。

Wong Tai Sin Temple

みな真剣そのもの。中にはひざまずき、土下座をするように一心に祈っている人たちもいた。

People worshipping Wong Tai Sin

供え物も日本とは違っていて面白かった。鶏の丸焼き1羽や油などを拝殿の前に置き、その手前で跪いて祈るのである。

僕もためしに3度礼をして、「お金ください」とお願いしてきた。だけど線香も買ってないし、きっと願い事は聞いてもらえてないだろうなー。第一日本語通じないか。

拝殿の脇には、2階建てになっている建物があり、中に入ると占い横丁のようになっている。幅2~3メートルほどの小さな仕切りがいっぱいあってそれぞれに専門の占い師がひかえており、訪れるといろいろと占ってくれるらしい。この2階建ての横丁に実に150人もの占い師がひしめきあっているという。僕は占ってもらわなかったが、建物の中に入ると、まず日本では味わえない独特の甘い神秘的な香りが全体に漂い、この怪しげな雰囲気を楽しむだけで十分満足だった。

道教の寺院では、拝殿の前に賽銭箱は置いていない。その代わりに、参道の途中で寄付金箱のようなものが置いてあって、そこに任意でお金を入れていくようになっている。それとは別に、中国庭園のようなものがあって、そこに入るには2HKD(約30円)必要である。といっても門番がいるわけでもなく、お金を入れる箱が置いてあるだけでそこに勝手にお金を入れていくシステムである。お金を入れずに入ってもとがめる人はいないしきっちり2ドル入れなくても誰もチェックしないのだが、僕はちゃんと2ドル入れていった。

中国庭園はまさに中国風の回廊と風景がいっぱいで、西遊記の中の世界にいるような感覚だった。きっちり回るとゆうに1時間はかかる。

Wong Tai Sin

黄大仙廟を出ると、午後3時ごろになっていた。このあとは地下鉄を適当に乗り継いで香港市街地周辺をまわる。觀塘線は黄大仙駅を過ぎてしばらく東へ走ると地上に出るのだが、そこから見える景色は、かなり汚い街という印象がした。もちろん日本にだって下町も汚いところもあるのだが、そういう次元を遥かに通り越した、饐えた街という感じである。おそらくこのあたりは地元の人の住宅地域だと思うのだが、観光客の目に触れない場所は手を入れないというのが露骨に表れているところにこの都市の気質を感じ取った。まあいい加減な観察なので外れているかもしれないが。

KCR Kowloon Tong Station

觀塘線を再び逆向きに乗り、九龍塘駅で九廣東鐵(KCR)に乗り換えてみる。手元のガイドブックによれば、そこで確か紅磡(ホンハム)というところまで行けるはずである。と思いきや、

K C R は 尖 沙 咀 ま で 延 伸 し て い る

ことが判明。「尖東」という新駅が紅磡の先に出来ていて、そこで地下鉄の尖沙咀駅と連絡しているようである。

KCRの車内は、さすが長距離列車だけあって、非常に乗り心地が快適。車内には中国本土のものらしい簡体字の広告やCHINA UNICOMの広告などが張ってある。5分ほどであっという間に尖東駅に着いてしまった。

夜は尖沙咀の美麗華商場(ミラマー・マーケット)4Fにある雲陽閣川菜館という四川料理レストランで夕食。紹興酒の熱燗に、舌が痺れる本場の麻婆豆腐を堪能した。もたれ気味の重苦しい胃に喝が入り、食が進む。他にダックの丸焼きと小籠包をオーダーし、総額455.40HKD(約6800円)。けっこう高くついた。

そのあとは、湾仔へ足を伸ばし、栄華餅家という有名な月餅屋さんの本店で老婆餅というのを会社へのお土産用に買ってきた後、トラムで中環へ引き返し、フェリーに乗って梅窩に戻った。梅窩の街は相変わらずまったりしており、フェリーターミナル前の安食堂では営業を終えた店の人たちが牌の大きな広東麻雀に打ち興じていた。

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11月22日から24日までの2泊3日の日程で、香港を旅してきた。以前、全日空を使ってワシントンに2度出張したときのマイルがたまっており、そのうちの20000マイルを使うと北アジア(中国、香港)、グアム、サイパンのどこかに行くことができる。そのマイルは年末で失効するため、今年中に消化する必要があるということで、今回の旅とあいなったのだった。本場の中華料理が食べたかったので、できれば中国の北京あたりがよかったのだが、北京はいつも座席がいっぱいで予約不可だったので、香港にすることにしたのだ。まあ香港も中国の一部だし、なにより英語が通じそうだったので。香港なら11月が最高にいいと聞いていたということもあったし。

誰か旅の道連れがいれば一番良かったのだが、マイレージは1人分しか航空券を出してくれないので、今回はお気楽一人旅ということになった。

周囲からは、
「香港は独りで行くのは止めた方がよい、香港や上海などは歴史的に強盗やスリの本場だ、シナ人は相手が独りとか弱いと見れば悪者になる特性があるぞ、しかも金のためなら他人の命をなんとも思わない、大陸は政府が強いし規制が利いているが香港はプロのワルが旅行者を狙っている所だ、日本語は勿論英語もまず通じない、ただ喧しいシナ語が飛び交っているだけだ、悪いことは言わないからキャンセルしたほうがいいぞ、云々......」
と散々おどかされ、果たして無事に生きて帰れるものかとかなりビビリ入っていたのだが、まあきょうび女の子だって香港ぐらいは一人旅するだろうし、野郎が独りで行ったってイラクじゃあるまいし命までは取られまいと思って、行ってみることにした。

ホテルは中国関係に強いJCBUSというところに予約を依頼した。最初は郊外の深圳にホテルを取っていたのだが、どうやら深圳は大阪なみの(爆)治安の悪さらしいということをあとになってから知り(なんせ駅前でいきなり囲まれて拉致されて金取られるんだから、たまったもんじゃない)、恐れをなして香港内にホテルを取り直した。出発間際だったのでなかなかホテルが決まらず、出発2日前になってランタウ島の梅窩(ムイウォー)というところにある銀鑛灣酒店(Silvermine Beach Hotel)というところにようやく決まった。

成田発が午前10時と早いので、前日に成田近辺で一泊し、当日は万全の体制で臨む。といっても風邪をひいてしまっており、咳が止まらない状態という、体調的にはあまりよろしくない状態での旅行となった。

0950NRT - 1335HKG
全日空909便。飛行時間は約4時間半。成田を北西に向かって飛び立ったあと、くるっと南西方向へ右旋回して羽田空港の真上を通過し、富士山~大阪~高知~鹿児島の上空を過ぎたあと、沖縄諸島の北方、東シナ海を飛んで台湾を縦断し、香港に至るという飛行ルートだ。途中、機内食が1回出た。

機体は香港市街の上空を通過して西に向かったあとしばらくしてぐるりと東へ方向転換し、東向きの空港滑走路にアプローチした。高度が下がるにつれ気圧の変化で耳が痛くなってきたが、喉風邪のせいでうまく耳抜きができず、ついには左耳が全く聞こえない状態になってしまった。これは地上に降りてからも続いた。

着陸し、飛行機から降りる。香港の匂いはこれまで行ったどこの国とも異なっていた。アメリカはシナモンの香り、シンガポールはスパイシーな香りだったが、香港は炒め油の匂いが漂っていた。

入境審査の窓口の前に並ぶ。並び方や並ぶ位置が時々刻々とコロコロ変わり、そのたびに職員のお姉さんがあわただしく動き回って場所を指示していく。その指示の仕方が外国らしく無愛想&事務的なので、後ろに並んでいた日本人の団体などは日本語で思いっきりぼやく始末。

入境審査自体は特に変なことを聞かれるでもなく、すぐに終了。ついに香港の国に入る。空港にあったATMで3000ドルばかり下ろす。スリが狙っていないか。急に緊張感が高まる。

Hong Kong International Airport

財布を入れたポケットを手で覆いながら空港のロビーに戻る。ここから梅窩まではバスで行くこともできるのだが、せっかく香港に来たのだから一度エアポートエキスプレスとやらに乗ってみることにした。

片道切符を買うこともできたのだが、香港では八連達(オクトパスカード)というICカードが発達していて、これ1枚で全港のほとんどすべての交通機関を利用できるうえ、小銭を気にする必要がないというメリットが大きいので、このカードを買うことにした。といってもどこに売ってるかわからず、ロビーの中にあったインフォメーションデスクのようなところでカードを買える場所を適当に訊いてみると、なんとそこで売ってくれるとのこと。デポジット50HKD込みで総額150HKD(2250円)。

エアポートエキスプレスは空港内に乗り入れており、乗り場がすぐに見える場所にあった。しばらく待っていると電車がやってきた。

電車は4列クロスシート。シートは日本のものよりも少し固い感じはあるが、布張りで快適。内装もとても清潔だ。動き出してからも乗り心地がとても良い。

Airport Express

車窓からは、初めて見る香港の景色が流れる。気持ちよさそうに流れる高速道路、高層住宅街など、窓から見える街並みはどこも非常に整っていて、かつて言われた「魔都」のイメージなどどこにもない。

電車は、途中、「青衣」「九龍」に停車したあと、終点の香港駅に行く。車内アナウンスは広東語、英語、北京語の順で行われる。同じ漢字なのに広東語と北京語で読みが違うのが面白い。「香港」は広東語では「ホンコン」だが、北京語になると「シャンカン」という読み方になる。

機場駅を出てから約20分ほどで終点の香港駅に到着。日本のsuicaと同じ要領で改札機の読取部分にオクトパスカードをタップする。地上に出ると、中環(Central)のスターフェリー乗り場の近くに来た。このあたりの街並みも、とても清潔だ。

少し迷いながら、梅窩行きのフェリー乗り場にたどり着く。ここでもオクトパスカードが使用可能なので、カードをタップさせるのだが、改札が開かない。すかさず係員が飛んできて、有人改札に行けと言う。行ってみると、そこの係員がカードを調べて「No money!」と言う。ここでは金を払わなくてよいのかと思っていると、そうではなく、このカードに残高がないのでチャージしろという意味だった。さっきのエアポート・エクスプレスでなんと100ドルまるまるかかっていたのだった。

窓口でさらに100ドルチャージして、再度改札機を通すと、ちゃんと通ることができた。香港の改札機は、日本のように閉じた扉が開いて通れるようになる方式と違って、側面に大きな円盤があり、そこに3本の鉄の棒が横に伸びて、上にくる棒で人を通せんぼする形となっている。有効なカードを通すとその円盤が動くようになり、上の棒を持って奥に向かって円盤を回しながら一緒に人が通ることができるようになる。

改札をくぐると、船がまさに出港しようとするところだった。走って乗り込み、ぎりぎりセーフ。

中環から梅窩まで、ちょうど30分で着いた。ガイドブックには50分かかると書かれていたので、予想外の速さにびっくり。

梅窩のターミナルを降りて右手に海沿いを5分ほど歩くと銀鑛灣酒店に着く。目の前はビーチが広がる、のどかな場所である。ついこないだ高校を出たばかりっぽい若くて可愛らしい男の子がフロントの受付をしていた。もちろん普通に英語が通じる。宿泊料金をクレジットカードで払って鍵をもらい、部屋に入る。あまりきれいな部屋ではなく、これで1泊1000HKDはちょっと高い気もしないではないが、まあ九龍や湾仔などの繁華街のホテルよりもまったりしていていいかもしれない。

Silvermine Beach

Silvermine Beach Hotel


しばらく部屋で休んだあと、再び梅窩のターミナルに向かう。セブンイレブンがあった。今回の香港訪問の目的の一つとして、現地のプリペイド携帯電話(SmarTone社のUSIMカード)を購入するというのがある。さっそくセブンイレブンの店員にかけあってみると、あっさりとレジの下の引き出しをごそごそと探し、ビニール袋につつまれた新しいUSIMカードを出してくれた。180HKD(約2700円)。身分確認も何もない。テレホンカードを買うような感覚で、ここではこうして簡単に買うことができるのだ。

ターミナルから再びフェリーに乗って中環へ。フェリーの中でさっき買ったUSIMカードをGSM携帯電話機の中に入れ、電源を入れてみる。ちゃんと「SmarTone」と表示され、認識された。ためしに現地の天気予報(TEL:185-03)に電話をかけてみると、SmarToneからの開通のアナウンスとともに、広東語の天気予報が聞こえてきた。これでこのUSIMカードが携帯電話として使えるようになった。有効期間は180日で、期限までに追加料金をチャージすれば、さらに180日間この電話番号を維持することができる。

国際ローミング可能なので、日本のW-CDMA対応の携帯電話機(NOKIAなどで売っている)にこのUSIMカードを差し込めば、日本でも使えるはずである。今、日本ではおれおれ詐欺が問題になっていて、国内でのプリペイド携帯の販売を規制するとかなんとかいう動きがあるようだが、このように香港で買ったプリペイド携帯をローミングインできるので、そんな規制は全く意味がない。日本のお役人がいかに自国内だけしか見ていないかということがよくわかる。

6月に訪れたシンガポールの街並みはどことなく横浜を思わせるものがあった。シンガポールが横浜なら、同じ港町の香港は神戸に似ている。フェリーが中環に着く直前にフェリーの右手には、香港島の高い山を借景としてその裾野に街が広がるのが見える。まさに神戸の街並みそのものである。まあ神戸にはあんなに高いビルはひしめきあっていないけど。

Bayside view

中環の街も、なんとなく神戸の三宮に似ている。遮打大廈(Charter House)や環球大廈(World Wide House)あたりは渡り廊下で結ばれていて、三宮センタープラザを思わせる。

環球大廈にある両替店で、所持金を両替する。当初、深圳に行く予定で中国元を1000元用意していたのだが、要らなくなったので、100元札1枚だけを記念に残し、残りの900元を香港ドルに両替することにした。レートは0.92と言われ、900元は820HKDほどに替わった。

近くの「鏞記酒家」という広東料理レストランで夕食を摂る。本場の中華料理を前に張り切ってダックの丸焼きをオーダーしたのだが、日本の中華料理とは使っている油が違うのか、食べるとすぐに胃にもたれ、中華料理好きの僕でも全部食べ切れなかった。

食事のあと、やはりここまで来たなら香港100万ドルの夜景を拝まなければ、ということで、急な坂を上ってピークトラムの乗り場に行き、そこから山頂へ上ることにした。ピークトラムでもオクトパスカードが使用可能。摩耶ケーブルのようなケーブルカーが、急峻な坂を力技で上がっていく。

山頂の駅には展望台があり、そこから夜景が見えるようになっていた。日本人の団体もいっぱいいたのだが、夜景を見た印象としては、100万ドルと形容されるほど感動するものでもなく、「ふーん」という程度のものだった。あまりにも高いビルが中腹まで伸びてきていて、それらが下の風景を妨げている格好になっていた。やはり香港の摩天楼は下から見上げたほうが壮観である。

Downtown view from Victoria Peak

Central

※道端で立っていると、地元の学生風の可愛い女の子に話しかけられること2度。何言ってるかさっぱりわからなかったのでゴメンナサイしてしまったが、惜しいことをした。次までに広東語を勉強するぞ :-p

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先月、大阪・梅田の阪急東通り商店街そばで、「起業Web」の管理者の28歳の男性が、飲んだ帰りにタクシーを拾おうと独りで大通りを歩いていたところ、通りがかった3人組の強盗に路地裏に連れ込まれ、財布を奪われ暴行を受け、そのまま亡くなったという事件があった。

その男性には婚約者がおり、プロポーズしてわずか10日後の奇禍だったという。何のかかわりもない一般人を金目当てで殺害する。犯人は鬼畜としか言いようがない。

阪急東通り商店街は、僕も学生時代よく呑みに繰り出したものだが、一度変な集団に殴りかかられそうになったことがあった。即逃げて事無きを得たけど。

その頃から大阪の治安は良くはなかったのだけれど、それでも夜には平気で呑みに行ってたし、一人歩き程度は平気でできるぐらいだった。今は関西から離れて7年になるのだが、最近、帰省ついでに大阪に立ち寄ると、昼間でもなんとなく身の危険を感じる。この前など、伊丹空港を出た瞬間から変なオッサンに怒鳴りつけられそうになったりしたし。

大阪の警察の腐敗度は言わずもがなであるが、大阪にはやかましい人権屋がぎょうさんいてるので、警察もあまり立ち入って捜査ができないのかもしれない。加えて昨今の関西経済の凋落ぶりと失業者の増大。これでは、治安が悪くならないほうがおかしいのかもしれない。

ところで、僕は来週の月曜日に、香港に高飛びをする。いや、単に中華料理を食べに旅行に行くだけなのだが……。

この香港という街は、上記の「高飛び」という表現からもわかるようにかつてはネガティブなイメージのする街だったようで、「暗黒街」だの「魔界都市」だのと言われて人々に恐れられていたそうだが、中国返還後は再開発が進み、また経済成長もあいまって、今ではシンガポールに次ぐ治安の良い都市になったという(シンガポールはアジア一の治安を誇る都市)。

対する日本の治安は、年々下がる一方。大阪と香港・シンガポールあたりを比べれば、ひょっとしたら既に後者に逆転されてしまっているかもしれない。

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飲み会の席などで、得意げに自らの恋愛論、女性論を語りたがる男がいたりする。「仕事のデキル人間は、女性の扱い方もうまいんだ」などと調子こきながら、自らの仕事自慢+女性関係自慢を滔々と語ったりするのだが、当の女性たちのその人に対する評判は実はすこぶる悪かったりする。

自分はモテるんだ、自分には女性は好意を抱いているはずだ等と思って変な気を起こしたりすると、大ヤケドをすることになりかねない。

ホークスタウンの社長だった高塚猛容疑者(57)。「平成の再建請負人」と呼ばれ、福岡ドームや隣接ホテル、ダイエー球団など旧ダイエー福岡事業の再建に腕をふるい、経営指南本も多数執筆するなどの辣腕振りで鳴らした実績を買われ、福岡ドームの社長となった。

そのあとは「オレはすごいんだ」とばかりに社長の立場を利用し、自分の会社の女性社員に対してやりたい放題。「通路で抱きついたり、口にキスをするのは日常茶飯事」とも言われるほどで、果ては朝礼中や業務報告中に一緒に居合わせた女性社員を抱き寄せて衆人環視のもとで舌を口に挿れるわ、胸は揉むわ大腿は触るわその奥まで触るわ、あげくは携帯で女性の陰部を撮影してそれを待ち受け画面にして女性社員に見せて喜ぶわといったご乱行ぶりだったという。そして本人はそれを「スキンシップ」だと悪びれずに言っていたそうだ。ついには、「自分は初対面の女性とでさえキスをしてもセクハラどころか、むしろ喜ばれるのだ」などとうそぶくようになり、その"極意"をご丁寧に「抱擁力」という本にまでして出す始末。

ところが、キスをされた当の女性たちは、喜ぶどころか、セクハラで高塚容疑者を告訴。2人の女性社員に抱きついたり肩を抱き寄せたりしたという「強制わいせつ容疑」で、高塚容疑者はあえなくお縄になってしまった。被害者はこの2人だけではなく、他にも多数の類似行為を行っていたという疑いが強まってきたとして、福岡県警は近いうちに再逮捕する方針だという。

高塚容疑者は「抱きついたりしたことは認めるが、スキンシップの一環であり、わいせつ行為ではない」などと供述し、犯意を否認しているらしい。おそらく彼は本心からそう思っているのだろう。「このオレが、若くて可愛い女性に何をしたって、喜ばれこそすれ、どうして訴えられるなどということがありえようか」とでも信じていたのではないか。

問題の「抱擁力」(こんなタイトルからして十分キモイのだが)は、「もてる男は、いいかっこしない」「もてる男は、女性から学ぶ」「太ももは、手前から奥へではなく、奥から手前に撫でると抵抗されない」などと解説しながら、女性部下の心をつかむ(ワラ ための極意を手ほどきするという内容で、あの「面接の達人」中谷彰宏氏との共著。

高塚さんは、キス魔です。
ところが、それがセクハラにならないのです。
「私は、まだしてもらってないから、嫌われているのかしら」
と、心配するほどです。
高塚さんの人徳を知らない人は、
キスだけをとりあげて、セクハラと勘違いするでしょう。
セクハラになるかどうかは、その行為がどうかではありません。
尊敬があるかどうかです。
尊敬がないのに、高塚さんのマネをすると、セクハラになります。
キスをしても、嫌われないくらい心配りができるようになるには、
かなりの修行が必要です。
さすが、高塚さんの人徳です。

という中谷氏の絶賛コメントつきだ。

こんなアフォなことを得意げに本にする前に、鏡に自分の顔をよーく写して見てみるべきだった。そうすれば、間違いを起こさなかったかもしれない。

若い頃はそれなりに見られた顔でも、だんだん年をとってくると肌が老け、顔立ちが崩れ、体形がオヤジ化する。特にこれまでモテてきた(あるいは、そう思い込んでいる)男性諸氏は、この哀れなセクハラオヤジの醜いザマを見て、わがふり直そう。

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大阪の地下鉄御堂筋線で当時18歳の女性の股間に足を差し入れたとされて逮捕・起訴された35歳の会社員に対する判決があり、大阪高裁は1審の有罪判決を覆して無罪判決を言い渡した。

大阪市営地下鉄の電車内で乗客の女性=当時(18)=に痴漢行為をしたとして、大阪府迷惑防止条例違反の罪に問われた奈良県の男性会社員(35)の控訴審判決で、大阪高裁(瀧川義道裁判長)は9日、懲役4月、執行猶予5年とした1審大阪地裁判決を破棄、無罪を言い渡した。
 1審判決は女性の証言について「具体的で生々しく不合理な点はない」と信用性を認めて男性を有罪としたが、瀧川裁判長は「証言は被告を犯人とする方向で具体的、詳細になるなど不自然に変遷しており、信用できない」と判断した。
(共同通信)

痴漢冤罪事件の傾向と対策については既にこのエントリなどでも何度も書いているのだが、警察・検察の調べ方がイイカゲンな現状のままで、罰だけを重くしたところで、このような例が増えるだけなのだ。

こういうことが増えてくると、痴漢事件が起こるたびに、冤罪ではないかと疑いたくなってしまう。世間の見方がそういう傾向に流れてしまうと、本当に痴漢に遭っている被害者が声を上げて犯人を訴えても、周りに相手にしてもらえない、などということになりかねない。

ところで、アメリカのサイトに面白いものを見つけた。「HTML入門」などの著書でおなじみのローラ・リメイ女史のブログ「limon」から。

No Contact Jacket
No Contact Jacketという女性用ジャケットで、マサチューセッツ工科大学とAdvanced Research Apparelの共同研究によるもの。左の袖口に隠されたスイッチを押すと、生地から80000ボルトの電気ショックが与えられ、痴漢を撃退できるという。

武器や催涙スプレーと違って、奪い取られて反撃されるおそれもない。実に画期的なジャケットなのだが、満員電車の中で使われると周りの無関係の人たちにも迷惑が及びそうだ罠。

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僕がホームページアドバイザーをしている劇団A Musical Noteの次回公演のタイトルと日程が決定した。

「Happy Birthday! ~鍵の行方~」

大人と子供。大人と人間。当たり前の日常。もしもそこに愛情だけがなかったら・・・夢と希望、それさえも持つことができず暖かい愛に包まれることなく生きている人々。
 双子を身ごもり、幸せに包まれている若い夫婦がいた(正信と真里子)。子供1人が生まれ、妻ともう1人の子供を失った正信。そこから逃げ出す正信。残された未幸と生まれられなかった未花。運命は悲しく動き始める。
 未幸が求めた安らぎは覚せい剤だった。心のキズは限界を超えなければやり直せる。でも体の取り返しはつかない。正信、真里子、未幸、未花。それぞれの願いは強い想いによって歩き始める。
(劇団ホームページより)

かわずおとしとのコラボレーションによるAMN初のコメディタッチのミュージカルとのこと。AMN主宰の三枝幹音サンは、これまでの主演/脚本/振付に加え、今回はかわずおとし主宰の小田切久氏とともに演出も担当。これまでAMNの公演で演出を務めていた劇団東演の辰巳次郎氏は今回は舞台監督にまわる。

12月16日(木)~19日(木)、「シアターバビロンの流れのほとりにて」(地下鉄南北線「王子神谷」駅下車)にて。さていつ見に行こうか……。

数日前にイラクでザルカウィ一味と思われるグループに捕らわれ人質となって殺害された香田証生さんの最期の瞬間の映像が、犯人グループによってネット上にアップされた。

http://www.almjlah.net/vb/showthread.php?t=2179
http://www.ogrish.com/
http://www.ogrish.com/a/shosei_koda_beheading_video_on_american_flag.html

かなり残酷な映像なので、全ての人に見ることはあえてすすめないが、日頃平和ボケしていてイラク情勢もゲーム感覚で見てしまいがちな我々にとって、戦争とは、テロとは、等々、色々と考えさせられた。散々言われて頭では分かっているはずの「イラクは危険」という言葉の意味が、この映像を見ることによってあらためて肌身にしみた。

およそ人間の所業とは思えないテロリストたちの行為には憤りを禁じ得ないが、それが実際に行われたという事実、そして、今も世界のどこかで現実に似たようなことが繰り返されているということには、目を背けてはならないと思った。

今回殺された香田さんは、いわゆる「自分探し」のためワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドに渡り、そこから中東経由でイラクに入ったのだという。「今イラクで現実に何が行われているのか見てみたい」と周囲に語っていたのだそうだ。

周囲が止めるのもきかず危機感なしにイラク入りした軽率さを責めるのは簡単だ。しかし、香田さんは、テロの犠牲者であると同時に、ちまたで流行りの「自分探し」の犠牲者ではないか、という見方もある。若い人が将来の希望を持てない、自分を見つけられない、生きる意義を感じられない、そういうものを与えることができなかった日本の社会、日本の教育の問題点、などを考えると、第二第三の香田さんが出てきても不思議ではない、と感じた。

あらためて、香田さんの冥福をお祈りしたい。

間違いない!などと気勢を上げながら、裏では女子大生を酒で酔わせて強姦していた早稲田大学のイベントサークル「スーパーフリー」の代表・和田真一郎被告の判決公判が今日、東京地裁で開かれ、和田被告に懲役14年の判決が下された。

人一人殺しても14年も食らわないご時勢にあって、今回のこの判決は非常に厳しい。何をやったかというと、イベントに参加した女子大生を2次会に誘い込み、そこで強い酒を密かに飲ませてベロベロにさせ、意識混濁させて抗拒不能の状態にしたうえで、サークルの幹部ら十数人とともに、人目につかない飲み屋の階段の踊り場やサークルの事務所などにその女性を引きずっていってそこで集団で輪姦(マワシ)したというもの(詳しくはWikipediaのこのページを参照)。裁判で立件されたのは3件だったが、実際にマワシを行ったのは百件以上ともいわれ、被害者の女性は数百人にのぼるとみられる。

今回の事件では、和田被告とともにマワシに参加したサークル幹部ら13人も併せて逮捕・起訴され、全員に実刑判決が出ている。

やった本人らにしてみれば、悪ノリの延長ぐらいにしか思っていないかもしれない。他のサークルだって似たようなことをやっているのに、なぜ自分たちだけが見せしめにされなければならないのかと思っているだろう。しかし、地方から上京したばかりで右も左も分からない新入生を言葉巧みに誘いこみ、強い酒を無理強いして泥酔させ、見張り役や友達の女性のブロック役まで用意したうえで人目につかない場所に引っ張り出し、靴の泥を落とすマットの上に寝かせて10人以上もの大人数でレイプしたうえ、事後に口止め工作までしている。しかも、サークル幹部対象の合宿を定期的に開いてスペシャルドリンクの作り方やレイプのテクニックを伝授し合うなどまでしている。これらは到底、"悪フザケ"といった枠でくくれるものではない。

被害に遭った女性たちは今も過食症や過換気症候群などに悩まされ、家族ともども苦悩の日々を送っているという。公判で明らかにされなかったものも含めれば、実際にはこの何十倍、何百倍もの女性たちがこれ以上の傷を受け、しかも表に出されないまま今も苦しみ続けているはずだ。彼女たちはことによるともう生涯、マトモな恋愛はおろか、普通の社会生活すら送ることができなくなるかもしれない。彼女たちの抱えた心の傷は、永久に癒えることはないのである。

時代劇の筋書きでもヤクザVシネの世界でもどんな世界でも、女性を傷つける男というのは不逞の輩と決まっている。女性は、傷つけるものではない。悦ばせるものである。

自分は我慢しても、相手をキモチ良くさせてこそ、真の漢ではないか。

己の快楽充足のみのために、相手の女性の人格を一顧だにせず、まるで道具のように弄んだこれらの連中に贈る言葉として、このサイトの序文を引用して、しめくくりたい。

挽歌に代えて

稲門に学んだ者として、誇りある、気高い最期を見せてはどうか
人は生きるために生きるのではない
社会的生命を剥奪され、生き恥をさらし、余生といってよい冗長な時を過ごすことに何の意味があるというのか
償いは、現世でなさなければならぬ必然性はどこにもない
涅槃の永劫の刻を贖罪に費やすという選択もある
そして、そうすることによって初めて、いつ果てるともしれぬ彼女たちの疼痛は刹那の和らぎを見せるのである

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