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前都知事の青島幸男さんが死去

 放送作家、俳優、小説家、国会議員とテレビ時代を代表した「マルチ人間」で、前東京都知事の青島幸男(あおしま・ゆきお)氏が20日午前9時31分、骨髄異形成症候群のため東京都内の病院で死去した。74歳。東京都出身。自宅は東京都江東区。葬儀・告別式は27日正午から東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は長男利幸(としゆき)氏。
 1955年(昭和30年)、早大商学部卒。同大学院中退。在学中に漫才の台本を書いたのがきっかけで芸能界とかかわり、日本テレビ系の「シャボン玉ホリデー」などでコント作家として活躍。「青島だあ」などの流行語を生み出した。
 植木等さんの「スーダラ節」などのヒット曲も作詞。俳優としてはフジテレビ系の「意地悪ばあさん」が代表作。81年には祖母をモデルにした「人間万事塞翁(さいおう)が丙午(ひのえうま)」で第85回直木賞を受賞。68年、参院全国区で初当選し5期24年間、参院議員を務めた。
 95年の東京都知事選に無所属で立候補し、既成政党の候補らを抑えて当選。都が開催予定だった世界都市博覧会を公約通り中止した。99年に退任後、タレント活動を再開していた。
(日刊スポーツ)

女優の岸田今日子さん死去

アニメ・ムーミンの声などで知られる個性派女優の岸田今日子さんが17日午後、脳腫瘍による呼吸不全のため死去した。76歳。
 1930年(昭和5年)4月29日、東京生まれ。父は劇作家の岸田国士、姉は詩人の岸田衿子。文学座を経て、映画「砂の女」(64年)で注目され、シェークスピア劇に多数出演する。私生活では54年に文学座の仲谷昇と結婚、長女まゆさん(25)をもうけるが、78年に離婚した。
(日刊スポーツ)

お笑い、カンニングの中島忠幸さん死去

 人気お笑いコンビ、カンニングの中島忠幸(なかしま・ただゆき)さんが20日午前、白血病ウイルス性肺炎のため都内の病院で死去した。35歳だった。中島さんは04年12月末に急性リンパ球性白血病で入院。入退院を繰り返しながら闘病生活を送っていた。
(日刊スポーツ)

今日は訃報大杉です。
意地悪ばあさんは小学生ぐらいの頃よく楽しんで見ていたので青島さんの訃報はショックです。
演劇集団円の研修生の女の子が行きつけのダーツバーにいるのでそこの所属の岸田さんの訃報はショックです。
35歳という僕とそんなに変わらない歳で亡くなった中島さんの訃報はもっとショックです。
皆様のご冥福をお祈りします。。。

今週号のNewsweek Japanの特集記事は「テロ震災帰宅支援マニュアル」
そこに「10の非常事態別最新マニュアル」という記事があって、核兵器、生物・化学兵器、爆弾テロ、地震、津波、などの項目ごとにそれぞれからの身の守り方のレクチャーがあります。

そこの10番目の項目に「竜巻」というのがありました。
「竜巻が起きることで有名なのはアメリカ中西部だが、オーストラリアや中部アフリカ、フランス、スペイン、インド、日本などでも発生する云々」と書かれていて、「そういえば、日本でもこの間、九州で竜巻あったな~。何人か亡くなったんだったっけ。。。」なんてぼーっと考えていたら、今日さっそく北海道で、竜巻で9人が亡くなったそうですね。
戦後最悪の死者だとか。
ともあれ、ご冥福をお祈りします。
また被災者の方には心からお見舞い申し上げます。

拘置中の女性と性的関係、元看守部長に懲役3年判決

 豊橋刑務支所(愛知県豊橋市)で未決拘置中の20歳代の女性と性的関係をもったとして、特別公務員暴行陵虐罪に問われた元看守部長小戸森彰被告(46)に、名古屋地裁の田辺三保子裁判官は13日、「職務を著しく外れ、刑務官への信頼を失墜させた」と懲役3年(求刑・懲役5年)の実刑判決を言い渡した。

 判決によると、小戸森被告は2003年9月5日から10月15日までに6回、女性に性的行為をした。

 弁護側は「女性とは恋愛関係にあり、合意の上での行為」と無罪を主張したが、田辺裁判官は「公務を適正に行い、国民の信頼を得るのが公務員の基本的義務。犯行は職務違反であり、被害者の意思は関係ない」と退けた。(読売新聞

この元看守部長というのは独身だったのだろうか。独身で、お互い合意の上だったとすれば、「被害者の意思は関係ない」などと切り捨てられるのも少々気の毒な気もしないでもない。それにしても6回というのが凄いなあ……。合意というのが本当なら、短期間で、しかも看守と未決囚という立場で恋愛関係になるほど親しくなれる彼というのは、石田純一(プ のような顔でもしてたのか、それとも他によっぽど魅力があったのだろうか、純粋に知りたいものだ。

いずれにしても、裁判長が女性だったというのが彼にとって不運だったようだ。ご愁傷様……。

今年の芥川賞は、阿部和重さん(36)の「グランド・フィナーレ」に決定。去年は若い女の子2人受賞で世間を沸かせたが、今年は特に奇をてらうでもなく順当な選考だったようだ。

幼女への偏愛から家族も仕事も失った男が故郷で更生を目指す内容とのこと。奈良の女児誘拐殺人事件が身近で起こったなかだけに、同時代性を感じさせられそうだ。

阿部氏は94年以来、“4度目の正直”で受賞した模様。男性最年少候補の白岩玄氏(21)の「野ブタ。をプロデュース」との決選投票の末に競り勝ったという。

ちなみに直木賞のほうは角田光代さん(37)の「対岸の彼女」。

このエントリで紹介した、「佐賀銀行がつぶれる」とのデマメールを知り合いに転送して佐賀銀行の取り付け騒ぎを引き起こした20代女性について、佐賀地検は先日、不起訴処分にすることを決定したとのこと。

というか、今の今まで捜査が続いていたということのほうが驚きである。

約2週間にわたって熱戦が繰り広げられたアテネ五輪が、さきほど閉幕した。

今回は、日本選手の活躍が目立つ大会でもあった。金メダル16個獲得というのは、1964年の東京五輪以来40年ぶりの快挙。まあ16個目の金メダルは少々後味が悪かった感もしないでもないが、メダル総数でいえば37個であり、これは過去最多の記録である。

特に目立ったのは、女子選手の活躍であろう。女子マラソン、柔道、レスリングなどで金メダル9個を獲得したほか、サッカー、卓球、シンクロナイズドスイミングなどでも活躍が目立った。とはいっても、女子競技はわりと最近正式種目になったものが多く、新しく競技を始めた選手がほとんどなので、徹底的に強化すれば比較的早くメダルレベルまで到達しやすいので、歴史が長く選手層の厚さがはるかに違う男子の成績が振るわなかったからと言って即、男に元気がないという結論にはならない。現に男子も柔道や水泳、野球、体操などでは大活躍している。

メダルラッシュは、開幕2日目の柔道の谷選手と野村選手のダブル金メダルで引き金が引かれたのかもしれない。これで勢いづいて他の選手が触発されたといってもいいだろう。その意味では、この両選手の功績は大きい。

なんといっても目玉は女子マラソンだ。期待の坂本直子選手はあえなく7位に終わってしまったが、野口みずき選手の金メダルがそれを補って余りある。

レスリングの浜口京子選手。結果は銅メダルだったが、そのあとのさわやかな記者会見は、金メダルを取るよりも周囲の共感を買ったことだろう。

体格的にも技能的にも外国人より劣っていた日本人も、今や世界レベルで十分通用できるようになった証左であろう。特に若い世代は、外国人に対する引け目のようなものも少なく、自分の力を大舞台で出し切れる度胸のある人が増えてきたようである。

若い世代は、どんどん凄くなってきている。

先日マクドナルドで独り昼食をとっていると、何かのレッスンを終えたばかりと思われる5歳ぐらいの女の子が母親と一緒に横の席にやってきた。お行儀良く躾けられたその女の子は、時折、英単語を交えながら母親とその日の出来事を話していた。その発音がアメリカンでキレイだったりするのだ。最近、幼児からの英語教育がさかんらしい。

小さい頃から英語に触れ、コンピュータリテラシーも当たり前のように身に付いた子供たちは、あと20年後には社会に出てくるだろう。そして、僕たちよりもはるかに能力のある若者たちが、50代の僕たちを追い落としにかかってくる。僕たちのような「老害」に挑みかかってくる彼らと、果たしてやり合えるだろうか。そんな危機感を感じた昨今なのであった。

アテネ五輪での日本の調子がいい。開会2日目の柔道での谷亮子、野村忠宏両選手のダブル金メダルを皮切りに、北島康介(水泳)、谷本歩実(柔道)、体操男子団体など、相次いで金メダルを獲得している。男子サッカーは不本意な結果だったが、女子のサッカーではそれを補って余りある好成績である。

僕が覚えている最も古いオリンピック大会は、20年前のロサンゼルスオリンピックだ。このオリンピックは悲喜こもごも、いろいろな選手たちのドラマが多かったことで印象に残っている。周囲からのプレッシャーに泣いた選手、調整の不具合のために本番失速した選手など、惜しいところで大舞台を落とした人たちが多かった。

そのころに比べ、今の日本選手は大舞台のプレッシャーにも強くなり、また強化方法も進化してきたということもある。メダルの取りこぼしが少ないという点では、大きな進展といえる。

金メダルを取った谷亮子選手は、僕の地元だった兵庫県西宮市の市民だという。市はさっそく谷選手に市栄誉賞を贈ることを決めたそうだが、授賞式の場に

Go Sakamoto, go!

この選手も一緒に並ぶことを期待しているのだが。

※このほかの西宮市ゆかりの五輪代表選手は次のとおり。みんなまとめてメダル取ってくれると、うれしいかな。
★谷佳知選手(野球代表、谷亮子選手の夫)
★清水直行選手(野球代表)
★竹下佳江選手(バレーボール代表)

「Welcome home――」というスローガンのもと、ギリシャのアテネにオリンピックが戻ってきた。19世紀後半、普仏(独仏)戦争の大敗などにより疲弊したフランスの国力と誇りを復活させるために、ピエール・ド・クーベルタン男爵が英国を視察し、青少年の教育に英国式のスポーツ教育を取り入れたこと、それと同時に、この時代にギリシャのオリンピアで古代五輪遺跡が本格発掘され始めたことから、そのブームに乗って1896年にアテネでオリンピック大会を復活させた。それ以来、オリンピック会場は4年ごとに世界各地に舞台を移していたのだが、それが今年、108年ぶりにアテネの地に戻ってきたのである。

オリンピック会場の工事の進捗が遅れに遅れ、一時は開催自体が危ぶまれた時期もあったが、無事に開会式にまでこぎつけることができたようである。

開会式はいかにもギリシャらしいというか、荘厳で格調に満ちたもののように思われた。なかでも印象に残った演出は、紀元前何千年も昔からのギリシャの歴史を、古代から現代まで、その時代時代の人々の衣裳を使って、順を追って紹介していく。その歴史絵巻は、ヒトゲノムが解読された現代を象徴する、DNAを意味する螺旋模様の演出で終わる。

あくまで人間を中心に据え、人間の歴史を紹介していく姿が、ギリシャらしい。これが日本人だったら、まず人間をとりかこむ自然の姿の移り変わりをメインにし、クライマックスは地球!環境!を訴えかける内容になっていたのではないか。人間とは何か、そのありようを考え続けてきたギリシャ哲学の重鎮・ソークラテースやプラトーンなどを輩出してきたギリシャならではの演出だと思う。

近代オリンピックも100年以上の歴史をもつようになり、クーベルタン男爵の当初意図する理念とは大幅にかけ離れた部分も大きくなってきた。が、ともあれ、表舞台でプレーする選手たちのドラマは、昔も今も変わらない。17日間の熱戦を見守りたい。

だいたいどこの会社でも最近は「成果主義」がブームで、年功的要素よりも「アウトプットを評価する」人事考課制度にシフトしていっている。

特に若い社員は、自分と同じような仕事しかしない(と思っている)先輩社員のほうが自分より高い給料をもらっている実態を業腹に思っているようで、成果に応じて報いる給与体系への転換を特に声高に要求している。

そういうことを言う人は往々にして自分のことを「仕事のできる人間」だと信じており、給料以上の成果をあげているはずなのに相応の報酬を得られていないと不満を感じているようだが、実際にふたを開けてみると、自分が思っているほどに「成果」を認められず、結局給料だけ安く切り下げられているだけに終わっている、というパターンが多かったりする。

まあそれは置いといて、成果や業績に応じて評価する給与体系は、柔軟に運用できるし、給料をもらう側の納得性も高いように見える。

ただし、それは「アウトプットのある仕事」をしている人の場合だ。

アウトプットの出ない仕事、つまり非生産部門や、バックオフィス業務、あるいは既にリリースした製品・サービスのオペレーションやメンテナンスにたずさわる仕事をしている人については、ものを「生み出す」ことがミッションでないだけに、成果主義のもとでは評価しにくい。いきおい、「何もアウトプットを出さない=何も仕事をやっていない」と見なされ、低い評価に甘んじさせられることになってしまう。そればかりか、「非生産部門=金食い虫=会社のお荷物」扱いされ、真っ先にコスト削減の対象とされて、ぎりぎりの状態で仕事をせざるを得なくなる。

アウトプットを出さないものは、価値がない、と見られているのが現代の風潮なのである。

8月9日、関西電力の美浜原子力発電所3号機のタービン建屋で、高温高圧の蒸気が噴き出すという事故が発生した。直接放射能に触れる一次系冷却水の事故ではなかったので放射能漏れなどの最悪の事態は免れたものの、今回の事故で熱水を浴びた4人が死亡し、7人が重傷を負うという大惨事となった。

詳しい事故原因については今後の調査が待たれるが、破損した配管は20年以上交換されていなかったのだという。関西電力の体質がどのようなものかは知らないが、設備のメンテナンスはコストがかかるばかりで何もアウトプットを出さないことなので、「費用対効果」に照らし、積極的に行わず後回しにしたなどという意識があったのだとすると、恐ろしい。

作家、ミュージシャン、劇団主宰者などマルチな方面で活躍した中島らも(本名・中島裕之=なかじま・ゆうし)さんが7月26日午前8時16分、脳挫傷による外傷性脳内血腫のため神戸市内の病院で死去。享年52歳。

10日前に神戸の居酒屋で酔って階段から落ち、病院に運ばれたものの、頭を強く打っており、ついに意識を戻すことはなかったという。

灘中、灘高という関西の一流進学校に進んだが、灘高時代に白土三平のマンガに熱中し、成績不良で放校処分になったあと、大阪芸大に進んで印刷会社・広告代理店を経たあと、朝日新聞の身上相談回答者として物書きの道に入ったとのこと。「今夜、すべてのバーで」で1992年吉川英治文学新人賞、94年に「ガダラの豚」で日本推理作家協会賞を受賞した。

作家のご多分に漏れず、生活ぶりは破天荒なところがあったようで、2003年に大麻取締法違反で懲役10月、執行猶予3年の判決を受けたほか、うつ病、アルコール依存症、対人恐怖症に悩まされていたという。

「52歳は『失っていく』年。けれど逆に一種のすがすがしさがある」(「異人伝」帯) 執筆、音楽活動に本腰を入れ始めた最中の突然の奇禍。ご冥福をお祈りしたい。

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