April 2005 アーカイブ

関西ローカルの夕方6時半からのニュースでの天気予報で、「停滞じぇんしぇんが......」などと独特の訛り方でおなじみだったお天気おじさん、福井敏雄さんが4月27日、老衰のため死去。84歳。

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本当に、人の生き死にというのは、運命的なものでしかないと思う。

今日は仏滅・・・列車事故(2000年3月8日)
大都会で生きる(2000年3月9日)

上のエントリにも書いたことがあるが、人間、いつなんどき生涯を閉じるかなど、わからないものだということを、あらためて痛感した。どこにいても、常に死と隣り合わせに生きている、そんな当たり前のことを、あらためて思い起こさせられた、今回の事故だった。

明日この世を去ることになったとしても悔いのないように、1日1日、精一杯生きること、やりたいことは、後まわしにせず、やれるうちにやってしまうことだと、思うのである。

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これはアムトラックの話でも、上海の鉄道の話でも、インドの列車の話でもない。世界一安全と言われている日本のJRの事故である。

4月25日朝、尼崎のJR福知山線(宝塚線)上り快速電車で発生した脱線・マンション激突事故は、今日現在で死者70名以上を出すという、生まれてこのかた見たこともなかった大惨事となった。実家の近くの身近な路線で起こった事故だけに、僕にとって非常に関心が強く、ずっとネットのニュースに首ったけだった。もちろん世界的にも注目されるニュースで、どこの国でも主要紙ではトップニュース扱いになって報道されていた。

たまたま仕事の都合でいつもより遅めの電車に乗ったために命を落としたサラリーマン、初めての海外旅行で関西空港へ向かう途中に奇禍に遭った25歳の女性、婚約者に会いに行こうとして亡くなった男性......その無念さには言葉もない。

事故から1日経って、いろんなことがわかってきた。事故を起こした電車を運転していたのは23歳の若い運転士で、運転士としての乗務経験が11ヶ月だったという。11ヶ月というのが経験不足なのかどうかは知らないが、彼は過去にオーバーランなどで3度の処分歴があったのだそうだ。今回の事故の直前に、停車駅であるはずの伊丹駅で停車し損ねてオーバーランし、バックしてしまったためにダイヤが乱れてしまい、その遅れを取り戻すためにスピードを上げ過ぎ、制限時速70km/hだった事故現場のカーブを100km/h以上の速度で通過しようとしたともいわれる。

そして、あろうことか、伊丹駅でのオーバーランが実際には40mにわたったにもかかわらず、運転士の要請で、車掌は列車指令に対し、オーバーランは8mだったと虚偽の報告をしたのだという。

もちろんこのような嘘の報告が許されようはずはないが、こんなことをしなければいけなかったということから考えるに、たぶん、JR西日本は日頃から乗務員を減点法で評価して、いろんな面で圧力をかけてたのと違うかな。

運行ダイヤは何よりも大事なもので、遅延させるということは絶対に許されないという空気が、社内にあったといわれる。一説によると、遅延を発生させると、あとで呼ばれて吊るし上げを食らい、ひどい場合には乗務停止となり研修センター送りになってしまうのだという。一事が万事で、ここの会社は、乗務員のちょっとしたミスを指摘してあげつらい、ペナルティを科す。それがため乗務員は萎縮してしまっていたのではないか。

人間、鞭ばかり叩かれていると、次第に鞭を避ける方向へ向かうようになる。つまり、失敗を隠す方向に走るのだ。そのために、運転士はオーバーランによる遅延(という失敗)を少しでも帳消しにしようとして無理な回復運転をし、車掌は運転士の大きなミスを少しでも軽くするために嘘の報告をするようになってしまったのではないかという見方がある。

時間に異常なまでに几帳面な日本人の性格もこれに拍車をかけたと思われる。数十分の遅れなど当たり前の欧米の鉄道に比べ、日本の鉄道は世界一正確で、少しでも遅れると乗客はこれを許さず、駅員にギャアギャア詰め寄る光景がみられたりする。東京近辺ではさすがにラッシュ時の数分の遅延ぐらいは大目に見られているが、他の路線では10秒単位のダイヤの乱れでも乗客は不安がり、鉄道会社に怒りをぶつけたりする。わずかな遅れも許さない、こうした日本人の時間への潔癖さ、ゆとりの希薄さが、現場を追い詰め、その歪みが今回の事故となって露呈したという見方もできる。

阪神間の鉄道のスピード競争も、事故の誘発原因の一つだ。私鉄が並行して何本も走る阪神間では、私鉄より運賃の高いJRが競争に勝つためには、他社よりもスピードを出し、時間の速さで勝負するしかない。スピード戦略のおかげで阪神間のJR(特に新快速)の速さは他社の追随を許さないものとなっているが、そのために安全面が犠牲になっているのだとしたら、本末転倒だ。

いずれにしても、真相がわかるのはもう少し先になりそうだ。今はただ、犠牲者の冥福と生存者の早期救出を祈りたい。

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府中の森芸術劇場で、劇団DREAM☆COMPANYの旗揚げ公演「オー爺さんのチェロ」を観る。

1992年、戦火にまみれたボスニアを舞台に、爆撃の犠牲となった22人の市民を追悼するために、サラエボ市内の通りで22日間にわたってチェロを弾き続けたチェロ奏者の実話をモデルとして、Jane Cutlerによって子供向けの絵本「The Cello of Mr. O」として書き下ろされ、ゴダイゴのボーカル(もう若い人は知らないかな......)をしていたタケカワユキヒデによって翻訳された「Oじいさんのチェロ」という絵本を、劇団DREAM☆COMPANYのプロデューサー・長澤千佳子さんの依頼によって、劇団A Musical Noteの三枝幹音さんが脚本、同じく山本伸幸さんが音楽、AMNの作品の多くで演出をしていた劇団東演の辰巳次郎さんが演出を担当し、ミュージカル仕立てに書き直したものである。

長澤さんとは昨年6月の劇団Nom'bの公演の際に面識があり、そのプロデュースする初の公演ということで、観に行くことになった。僕はこの日はキャンプ座間の桜祭りに行っていて、その帰りに府中に立ち寄ったのだった。

戦争で傷つき、今も戦火にさらされた町で、子供たちも同じように心が傷ついていた。子供たちは不安と恐怖におののきながら家の中で遊ぶ日々。主人公の少女タチアナもその一人。彼女の父親アーサーは戦争に行って戦っている。タチアナの家に住む世界的に有名な老音楽家、オー爺さんは、妻を亡くしたせいでひねくれた性格となり、日頃から子供たちに「オー!」と怒鳴り、辛くあたっていた。が、その地域に食糧を配給しているトラックを爆弾が破壊して多くの人々が亡くなり、生きる希望を失いかけたとき、オー爺さんはその向こう見ずな勇気で彼らを驚かせる。彼はチェロを持ち出し、敵の見ている前でチェロを町の人々に弾きはじめる。今まで彼に対してよい感情を持っていなかった町の人々は、その勇気に驚き、タチアナをはじめ町の子供は、その音色を聴くことによって心の傷が癒されていく。そのチェロもまた、爆弾によって壊される......。

音楽によって、生きる喜びを再発見する、というのが主要なテーマのミュージカルである。

戦争で戦っている兵士の迷彩服が、昼間に座間で見た米兵そのままだったので、思わず苦笑。昼のアーミーバンドの連中が1人ぐらい混じってたりして。

スタッフがほとんどAMN関係者だったこともあり、まるでAMNの公演を観ているよう。AMN特有のまっすぐなストーリーがここでも展開されていた。キャストの演技については、旗揚げ公演ということもあって荒削りなところもまま見られたが、オー爺さんを演じた元N響のチェリスト・丹羽経彦さんのチェロの重厚感が圧巻だった。

座間で買ってきたアメリカのお菓子を差し入れ。反戦演劇の場に軍のお祭りのお菓子を差し入れするのも微妙なところがあるのだが、まあ気にしない。僕のお気に入りのリグレーの「Big Red」という怪しいシナモン味のチューインガムを混ぜておいたら、三枝サンは
「私Big Red大好きなんですよ......これベストヒット!」
といたくお喜びだった。

今日の14時からの部が千秋楽。

【関連サイト】

Jane Cutler "The Cello of Mr. O"
日本語版「Oじいさんのチェロ」
Oじいさんのチェロタケカワユキヒデ オフィシャルホームページから)
Oじいさんのチェロ(大空へ羽ばたけ)
ミュージカル「オー爺さんのチェロ」4月8日初演決定(★いぬのほねのお城 わが城の再建計画)

昨日(4月9日)、神奈川の米軍座間キャンプで一般開放(桜祭り)があったので、見に行ってきた。

小田急線の相武台前駅から徒歩10分ほどのところに座間キャンプがあり、10時半の開場を前に、入口では入場者が行列を作って待っていた。

The entrance gate

ようやく時間が来てゲートが開くと、来場者はゲートのチェックポイントで手荷物検査を受けたあと、晴れて中に入ることができる。手荷物検査といってもそれほど厳しくなく、カバンの中をさっとまさぐられるだけで、あっさりとパスする。弁当を入口で捨てさせられるなどというおバカなことはない。

ゲートをくぐると、大通りがあり、そこにお祭り用の屋台が出ていた。日本の神社などでみられる典型的な屋台から、外国料理を出す屋台までさまざまだったが、いかんせん人が多く溜まるので身動きがとれない。僕はさっさとのぞくだけにして、奥を探検してみることにした。

大通りを抜けると、「Shoppery」と書かれた建物に出る。文字通り、米兵向けに物を売っているところだ。入口にはすでに行列ができている。入って左手のところに、フライドチキンの「Popeye's Chicken」、今は日本から撤退した「Burger King」、あとピザの「Anthony's Pizza」が一般向けに営業しているということで、それ目当ての一般来場者が並んでいるのだ。右手には米兵用のPX(売店)があり、中をのぞくとアメリカのショッピングセンターの雰囲気そのままだったのだが、残念ながら入口に監視兵が立っていて、一般人は中に入ることができなかった。

一般に米軍基地に入ることができるのは、軍人、軍属、軍関係者、または基地で働いている職員(彼らは正規のIDカードを持っており、スポンサーとも呼ばれる)のほかに、スポンサーに伴われた一般人に限られる。それ以外の人は、この日のような一般開放日に限って、中に入ることができるのだが、それでもこのようなショップなどは、入口で100%IDチェックをされていて、スポンサーがいないと一般人は中に入ることはできない。

とりあえずさっさと腹ごしらえしようと思い、Burger Kingに並んでダブルチーズワッパーコンボとハーシーズのチョコレートケーキを買い、そばの芝生に腰を下ろして食べることにした。やはりアメリカらしく、ハンバーガーは大味で、ケーキはすごく甘かったが、ボリュームがあり、腹にしっかりたまる。日本でもOUTBACK STEAKHOUSEなどに行くとこのような味に出会えるのだが、いかんせん高い。7ドルちょっとでボリュームたっぷりの食事にありつけるこの国が、少しうらやましく感じた。
(ホントはAnthony'sのピザのほう食べたかったんだけど、なんせ人がすごく並んでて......)

食事を終え、キャンプ内を散歩することにした。横田基地の友好祭では、空港という性格上、一般人が立ち入れる場所がかなり制限されていて、少しつまらなかったが、座間はキャンプ全体が一般開放されていて、どこにでも行くことができる。

Community Bank

キャンプ内のコミュニティバンク(銀行)。銀行自体は土曜日なので閉まっていたが、ATMは使用可能(US$か日本円で引き出し可能)。僕の持っていたUBOCのATMカードもちゃんと受け付けた。

このほかにも、郵便局、クリーニング店、図書館、写真屋、赤十字の事務所などがある。

Commissary

コミッサリー。食料品などが買えるようだ。中に入るにはスポンサーが必要らしく、店内をうろうろしていると見つかって追い出されてしまった。

High school track

ハイスクールの運動場。アメリカン・フットボール用のスコアボードがある。キャンプ内には幼稚園から大学までそろっていて、基地で働く人の子女の教育にも不自由しない。

Fishing pond

池。許可証をもらえば釣りができる。併設されていた公園では一般来場者の子供たちが遊ぶ姿がみられた。

さらに奥に行くと、軍関係者の住宅とみられる地域に出た。建物は平屋で、屋根は日本風に瓦葺きでそれほど新しい建物ではなかったが、門前には星条旗が立てられ、めいめい庭があって子供用のおもちゃの乗り物が置いてあったり思い思いのガーデニングがされていたりした。個人の住宅なので写真は控える。

その奥には、キャンプ専用のゴルフ場がある。その外周に沿って歩くとゆうに2~3キロはあろう。沿道の桜並木が美しい。

Cherry trail

空港の滑走路をもつ横田と違ってここはアップダウンがあり、散歩と言ってもなかなか疲れるものだ。喉が渇いたら、自販機でジュースを買うことができる。日本の自販機もあるが、アメリカのベンディングマシンもあり、1ドル紙幣とクォーターで毒々しい色のアメリカのジュースやソーダが買える。せっかくなので、家にお土産に持って帰る分も含め、多めに買っておいた。

自販機といえば、お菓子も買うことができる。スナック類が1袋65セント、リグレーのチューインガム(5枚入り)が45セントで売っていた。

屋台の種類が少なく食事に困ることを除けば、横田より面白いし、マターリとしていてイイかもしれない。あっという間に時間が過ぎてしまった。

帰りに、府中で劇団DREAM☆COMPANYの公演を観るため、4時半にキャンプを出た。

※ちなみにキャンプ座間では、今年は8月13日にまた一般開放があるとのこと(盆踊り)。

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