October 2004 アーカイブ

最近の子供たちに「太陽にほえろ!」を見せると、「ボスって係長なのにどうしてあんなに偉そうなの?」と質問されるらしい。刑事ドラマでは、現場の平刑事たちが(ときには独断専行で)突っ走り、係長や課長は後方でオロオロしているもの、という固定観念があるようだ。

確かに、昨今の刑事ドラマの傾向としては、そのような作りになっているものが多い。しかし、故石原裕次郎健在の70年~80年代では、刑事ドラマとは、リーダー(石原裕次郎・渡哲也)の指揮のもとに刑事たちがアクションシーンバリバリの大活躍をみせる、というのが定番だった。

特に、「太陽にほえろ!」と「西部警察」はその両巨頭だった。そのころ子供だった僕たちは、「太陽にほえろ!」の渋い刑事たちに惚れ、「西部警察」の型破りなアクションシーンに圧倒されたものだった。

その「西部警察」が、番組終了から20年の時を経てリメイクされたものが今日の午後9時からテレビ朝日系で放送された。本来は去年放送されるはずだったものが、撮影のときに事故を起こしてしまったため放映が1年延長されたのだ。

「西部警察」本放送の頃は平刑事だった鳩村刑事(舘ひろし)が新団長で、その配下に若手の刑事がいる形だった。部下の1人に戸田菜穂演じる女性刑事(爆弾処理係)がおり、若き日の古手川祐子(大門団長の妹の役)の雰囲気を髣髴とさせていた。そして、死んだはずの大門団長(渡哲也)はなんと課長として蘇っていた。

さてストーリーだが、女性刑事の父親(警察庁の要職にある)らが参加するサミットが開かれている宮崎県のホテルに、神田正輝演じるテロリスト集団が侵入し、その父親らを人質にとって占拠する。そしてテロリストの要求を呑まなければ人質を処刑する、と通告される。「テロには絶対に屈しない」という警察庁上層部の方針のもと、人質の救出を西部署に委ねられる……というもの。まさにイラク戦争まっただ中の時代に非常にタイムリーなネタであった。

人質になっていた父親は結局“処刑”されてしまうのだが、ちょうど今日イラクで人質になっていた日本人が殺されたことが明らかになったこともあり、微妙な気分にさせられた。

銃撃戦などのアクションシーンは迫力満点だったが、爆破シーンは無理やり入れたような、無駄に爆発するシーンが多かったように思えた。

新人の橘刑事役の徳重聡は「21世紀の石原裕次郎」というふれこみでの登場だったというが、やはり渡や舘の前では存在感がかすんでいたようだ。セリフの語尾切りも気になったし、一般に若手刑事たちは演技力が???といった印象であった。

特撮技術は昔よりはるかに進化しているはずの今回のリメイク版であったが、総合的に見ると、実写ですべてこなしていた昔の「西部警察」には到底及ばない、という感じである。そういえば「太陽にほえろ!」も数年前にリメイクされたことがあるが、やはりパッとしなかった。石原裕次郎は永遠に不滅といったところか。

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ここ最近、家のPCが不調で困っていた。

PCを起動すると、WindowsXPの起動画面が現れた直後、突然画面が乱れ、そのまま処理が全く進まずに止まってしまう。キーボードやマウスからの入力も全く受け付けない。しかたがないのでパワーボタンを長押しして一旦PCの電源を強制的に切り、再度電源を投入すると、今度は正常に起動する。

さらに数日前からは、Windows起動後の通常の作業中にも突然上記のような症状が発生するようになった。何の前触れもなく、である。そうなると一切の処理が止まってしまうから、電源を強制的に切るしかなくなる。当然それまで作業中のものはすべてオシャカになる。

ウイルスの感染を疑ったが、ウイルススキャンしてもそれらしき形跡はなし。ハードディスクをチェックしたりデフラグを動かしても、症状は改善せず。

困り果てて、世間に類似事象がないかどうかWebで検索してみると、どうやら原因はマザーボードの不調にあるらしいとの結論。確かに一昨年の末にこのPCを買ってから2年近く酷使してきたので、そろそろそこかしこに不具合が出てきてもおかしくないのかもしれない。

そういうわけで、ビックカメラに行ってマザーボードを入手した。ASUSのP4P800SE。税込み12400円也。

さっそくマニュアルと解説本首っぴきになりながらボードを交換。電源ケーブルやIDEケーブルその他もろもろのケーブル類も接続し、ケースを閉じ、いざ周辺機器と接続しよう!としたところ、

デ ィ ス プ レ イ に 接 続 で き な い

ことに気づいた。前のマザーボードにはオンボードでCRTポートが付属していたのだが、このマザーボードには搭載されていないので、ディスプレイと接続するためには別にビデオカードを買わなければならないということなのだ。

それに気づいたときには夜もすっかり更けてしまっていたので、翌日、近所のPC DEPOTでビデオカードを物色。高級なものは2万円以上もするのもあり、どれもなかなかいい値段がするのだが、特にハードな描画を必要とする作業をすることもないので、中堅クラスのATI RADEON 9600PROを選択。税込み12970円也。

ビデオカードをマザーボードに装着し、周辺機器を接続してPCの電源を投入すると、エラーが出てWindowsXPが起動しなくなった。マザーボードを換えてしまうと、BIOSやチップセットなどが変わってしまいそのままでは正常動作しなくなるので、WindowsXPを再インストールする必要があるのだ。とはいっても、クリーンインストールしてしまうと今までの環境やデータがすべて失われてしまうのでそれは避けたい。これまで使っていた環境を引き継ぎつつ再インストールするためには、「修復インストール」という方法をとる。

修復インストールの方法はこのサイトの情報を参考にした。

まずBIOSの設定を変更してブートの順位をCD-ROMドライブがHDDよりも先になるようにする。そしてWindowsXPのCD-ROMを挿入し、CD-ROMドライブから起動させると、WindowsXPのインストール画面になる。

最初の画面で、Windowsを新規インストールするか、回復コンソールを使って修復するかの選択を求められるので、ここでは「新規インストール」を選ぶ。

そうすると、しばらくハードディスクをスキャンしたあと、既にインストールされているWindowsのバージョンを検出し、そこに新規にインストールするか、Rキーを押して修復インストールするかを選択する画面になる。ここで修復を選んでRキーを押す。2回目の修復を求められたときにRキーを押すのがコツだ。

そうすると、ファイルのコピーが始まってインストールが行われる。時間にしておよそ40分程度。僕の場合は、途中でファイルのコピーが止まっちゃってそのまま固まってしまったため、一度強制電源オフしてしまったのだが、再起動させると何事もなかったようにインストールが続行された。

そうしてインストールが終了し、再起動すると、アカウントもちゃんと残っており、ログオンするとちゃんといつもの壁紙が表示された。

あとは、マザーボードとビデオカードのドライバをインストールして、Windows Updateで必要な更新をすれば、できあがり。

前よりも画面がシャープになったような感じがする。フライトシミュレータを使ってみても、画面描画がこころもち滑らかになったようだ。もちろん、従来のような不具合は、もうない。

まず、新潟県で被災された方々には、心からお見舞い申し上げたい。

地震発生の時、僕は東京の自宅で横になっていたのだが、いきなり強い揺れを受け、たじろいだ。僕はあの阪神大震災の折、西宮で被災した経験がある。そのため、地震については、ちょっとの揺れでも敏感になってしまう身体になっているのだ。

その揺れは、震度的にはそれほど強い揺れではなかったのだが、ゆうに1分を超える長い揺れだった。神戸の震災の時は、その小さな揺れがだんだん大きくなっていき、ご存知の震度6~7に発展してしまったのを体験したので、この1分の間、その揺れ幅が大きくなっていくことだけをひたすら恐れ、揺れている間は生きた心地がしなかった。

幸いなことに、東京ではそれほど大きく揺れることなく収まった。安堵してTVをつけてみると、「新潟県のほうで震度6強」の地震だったと報じているのが目に留まった。震度6強といえば、阪神大震災と同レベルである。これはただごとではないのではないか――と胸騒ぎがした。

その懸念は不幸なことに現実となった。それからというもの、TVは地震特番一色となった。次々に明らかになっていく現地の被災状況、だんだん増えていく死傷者の数……事態は、まさに9年10ヶ月前の阪神淡路地域の再来であった。

被災した家屋の片付けもままならず車で寝泊りした家庭、電気もガスも水道も使えなくなって食料の調達もままならなくなり、避難所で食料の配給を待つ人々……僕たちが経験したそのままのことが、今まさに起こっているのである。

今回の地震は、ある面では神戸の震災よりも悲惨なのかもしれない。

まず、山古志村などでは村の外に出る道路が土砂崩れで塞がったことで外部との交通が完全に断たれてしまい、孤立状態に陥ってしまった。村民はヘリコプターで長岡市などの大きな街に避難することはできたが、当分の間は家に戻ることも叶わず、避難所生活を余儀なくされることになるだろう。

次に、被災者の大多数がお年寄りだということ。走って逃げることもままならない上に、急激な環境の変化でショックを起こし、地震そのものよりも、その後になってから亡くなってしまう方が増えているという。避難所の食事は十分に行き渡らない上にお年寄りの口には合わないものも少なくない。トイレも不十分で衛生面も心配だ。またこれから寒くなってくると風邪の流行も心配だし、特に日本海側では豪雪に見舞われることが予想され、ともすると命に直接かかわる。

避難生活が長引くと健康への影響も懸念される。震災直後は気が張っているからよいが、一週間ほどたって落ち着いてきた頃、ふと緊張が緩んだ時が一番危ない(僕も震災の一週間後に風邪をひいた)。

現地の工場や事務所の被害も深刻である。特に中小の酒蔵などが倒壊し、致命的な被害を負ったところも少なくない。阪神のときもそうだが、ある程度大きな会社なら別の安全な場所に臨時に勤務することも可能だが、被災地にしか勤務場所がないような会社の場合、直接その存立にかかわる事態ともなろう。

交通機関の寸断も問題だ。特に新潟などでは通勤や日常の足にクルマを使っていることが多いだろうから、その手段が断たれるということは、足をもがれたにも等しい不便を強いられることになる。

しかし、救いもある。頼りない政権政党だった阪神と異なり、今回は政権が(良くも悪くも)しっかりした体制だったので、緊急事態に即応することができたのはさすがだと思う。まだまだ不十分な面も多々あろうが、復旧作業に一生懸命になっている人たちを前にして、不手際を安易に責めることはできない。

阪神のときはNifty-Serveなどのパソコン通信が安否情報などの提供に大活躍した。時代が下ってインターネット全盛となった現在では、2chなどを中心に情報集積拠点が作成され、情報が持ち寄られて共有されている。ITを使ったこうした草の根的な活動は、何よりの力だ。

今回の地震は僕にとってはとても他人事とは思えないので、とりあえず僕にできることをしようと考え、ささやかながら赤十字と共同募金に義捐金を送った。しかし、今はこのように県外の人たちが注目し同情してくれているが、あと数ヶ月して、誰も見向きもしなくなった時が被災者にとってはるかに辛く苦しいのである。特に家を失くした人たちにとっては、何ヶ月もの避難所生活に加え、家が再建されるか恒久住宅に入れるまで長ければ何年もの仮設住宅での生活を余儀なくされるだろう。十年単位の息の長い支援が求められる。

そして、忘れてはならないのは、台風23号の被害もまだ終わったわけではないということだ。

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Movable Typeの最新版(3.11日本語版)がシックス・アパート株式会社のサイトにアップロードされたので、このブログも更新した。

といっても外観はほとんど変わらないが……。

参考:2004年8月3日分エントリ「Movable Type 3.1

週末の台風で、自宅の周りも大雨が降り、そのときに部屋が雨漏りした。僕が借りて住んでいる部屋の真上はちょうど屋根になっていて、屋根のどこかから雨水が入り込んだものと思われる。雨水は照明の配線を伝って、電灯を吊り下げるソケットの穴から、水滴になって激しく滴り落ちてきた。洗面器を持ってきて受けてもすぐに一杯になる。台風が通り過ぎて雨が止んでしばらくすると雨漏りはおさまったのだが、雨が降っていた4~5時間ほどの間に、洗面器2~3杯ぐらいの量がそこから降って来たのである。とりあえずこのままにしておくわけにもいかないので、至急、大家さんに連絡して業者を手配してもらったのだが、マンションの雨漏りの原因を切り分けるのはなかなか難しいらしく、原因は未だわからないままだ。

雨水が漏れ出したソケットにまた電灯を吊るして使うのも怖いものがあるので、コストコに行って前々から欲しかったフロアランプを買ってきた。2台セットで6000円強。1台10000円を覚悟していたが、思ったよりも安くあがったものである。

Floor light

アメリカからの直輸入品らしいが、AC100Vに対応しており、日本語のマニュアルも付属していた。

とりあえずマニュアル通りに組み立て、部屋に置いて点灯してみた。

Lighting my room with floor light

光源はハロゲンバルブで、直射光はかなり強い。その強い光を天井に向けて照らし、天井からの反射光で部屋全体を照らすしくみになっている。普通の蛍光灯で直接部屋を照らす方式に対して、この方式は反射光を利用した照明なので「間接照明」と呼ばれている。

アメリカなどでは、ベッドルームを蛍光灯を吊るして照らす習慣がなく、天井には電気の配線がないので、照明は間接照明が主流なのだそうである。われわれ日本人からすると薄暗くてなじみにくいが、直接照明に比べてソフトで、精神を癒す効果があるのだとか。

間接照明は本当に使える方式なのかどうか、しばらく実験してみようと思っている。

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秋になったので、6万円出して思い切ってベージュのコーデュロイのスーツを新しく買った。もう30歳も過ぎた身では、3万円の安物スーツをいつまでも着ているわけにはいかない。

そのスーツを着て、会社帰りの西武線の電車に乗った。池袋で電車に座って待っていると、30代ぐらいの男性が缶チューハイのような飲み物を持ったまま隣に座ってきた。

まあそれはいいのだが、電車が動き出すと、その男性は、座ったまま寝入りだして、僕の肩にしなだれかかってくる。まあそれもまだ許せる範囲なのだが、大泉学園の駅に着いたとき、そのオッサン、電車が止まった拍子に持っていた飲み物を思いっきりこぼしやがった。

そのとき、僕は違う方向を向いていてその瞬間に気づかなかった。なんか身体が冷たい!と感じて振り向くと、そのオッサンが座席を水浸しにしていたのだ。当のオッサンはバツが悪そうに「スミマセン」と小声でうわごとのようにつぶやくと逃げるようにドアからホームに降りていきやがった。おかげで僕の6万円スーツは台無し。こんなことなら、寝てる間にオッサンの財布でもスッておけばよかった。

かなり前になるが、滅多に着ない高いスーツをたまたま着て会社に行き、昼食の時間に食堂に行くと、近くにいたオッサンが食べ物を満載したトレーをはずみでひっくり返し、その飛沫が僕のスーツにかかったこともあった。もちろん、わざとじゃないので怒るわけにもいかず、ぶつけどころのない怒りに打ち震えるしかなかったのだが、どうやら、僕が新しい服や高級な服を着ていると、きまって誰かが狙ったようにそれを汚しにかかるかのようにさえ思える。

いっそのこと、高いスーツを新しく買ったら、まずはゲロでも吐いて一度汚してから着るようにしたほうが、余計な気負いが消えて意外と良かったりして……なわけないか。

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