September 2007 アーカイブ

今年は、F1の日本GPが富士スピードウェイで開催されました。富士スピードウェイを所有するトヨタの肝いりで、今年からこれまでの鈴鹿に代わって富士での開催となりました。

F1の富士開催は30年ぶりだそうで、30年前の富士グランプリでは死者を出す事故が起こるほどの難コースだったそうです。

今年は、死者こそ出ませんでしたが、折からの雨にたたられてセーフティカーが入ったスタート、セーフティカーが出てからもいたるところでスピン・クラッシュが続発、ワールドチャンピオン候補のフェルナンド・アロンソまでがクラッシュでリタイアする始末。一番コースデータを持っているはずのトヨタ勢もダメダメ。散々なレースでした。

そんな中での新人ルイス・ハミルトンの快走、キミ・ライコネンの見せ所あるオーバーテイクなどは非常に面白かったですが......。

「キグチコヘイハ イサマシク イクサニデマシタ。テキノ タマニ アタリマシタガ シンデモ ラッパヲ クチカラ ハナシマセンデシタ。」

尋常小学校の修身の教科書に、日清戦争に従軍し、戦死した木口小平2等卒のエピソードが載っています。ラッパ卒だった木口は、敵に撃たれても息絶えるまでラッパを吹き続けたといわれ、最期の時まで自らの本分を全うした誇らしい例として紹介されています。

それを思い起こさせられた今回の事件でした。

<ミャンマー>長井健司さん、銃弾に倒れてもカメラ離さず

9月28日2時6分配信 毎日新聞

 銃弾に倒れてもなお、右手に持ったカメラを離さなかった。映像ジャーナリストの長井健司さん(50)は緊張が続くミャンマーの最前線に立ち、取材活動を続けていた。デモ鎮圧のため治安部隊が無差別発砲し、多数の死傷者が出たミャンマーの最大都市ヤンゴン。軍事政権は強硬措置を打ち出し、ついに市民に銃口を向けた。長井さんはその現実を世界に発信しようとしていた。
 長井さんはAPF通信社(東京都港区)の契約記者兼カメラマンで、イラク戦争やパレスチナ、中国と北朝鮮の国境地帯など、危険な地域での取材経験が豊富だった。
 27日夜、同社の事務所には多くの報道陣が詰めかけた。対応した山路徹社長(46)によると、午後11時過ぎ、外務省からメールで遺体の顔写真3枚が届き、長井さんと確認した。愛媛県今治市に住む長井さんの父親に伝えると、言葉はなく無言だったという。
 山路社長は目を赤くしながら、「長井さんは怒りを持って現場に入り取材する人だった。非常に残念だ」と声を詰まらせた。「誰も行かない所に誰かが行かなければならない」が長井さんの口癖だったといい、「実情を伝える人間が1人減ったという思いだが、我々はやるべきことを続けたい」と話した。
 長井さんは当初タイ・バンコクで別の取材をしていた。ミャンマーでデモが起きたため「取材したい」と願い出て、25日から現地入り。山路社長が長井さんと最後に会話を交わしたのは、27日昼過ぎで、電話で「現地はまだ比較的平穏だが、これからデモが始まるかもしれない」と話していたという。
 ロイター通信が27日配信した写真には、デモ隊と軍の衝突の場面で倒れている男性が写っていた。長井さんの現地リポートを紹介してきた日本テレビは、同日夜の番組で「男性は長井さんとみられる」と報じた。男性はあおむけで苦しそうに顔をゆがめ、腹部に血がにじんでいる。しかし、右手にはビデオカメラが握られていた。
 長井さんは26日、日本テレビの番組で「昨日(25日)の夜にヤンゴン入りした。夜は平穏だったが、今日の朝いきなり僧侶のデモがあり、銃を装備した軍が道路を封鎖した。そこに突然、群衆がわーっと来て、挑発するように通り過ぎた。軍の威嚇射撃で現場がパニック状態になった。明日(27日)は何かが起こりそうな不安がある」と現地の状況を語っていた。
 ミャンマーで何度も取材してきたカメラマン、三留理男さんは「デモ隊に交じって取材するカメラマンは目立つ。一般的に流れ弾に当たって死亡する確率は低い。軍から狙い撃たれた可能性もある」と推測。その上で「残念な結果だが、武装した軍が非武装の市民に銃口を向ける事態は危険を冒してでも報道する価値がある」と話した。
 イラク取材中に銃撃され死亡したジャーナリストの橋田信介さんの妻幸子さんは「ミャンマーでは77年から00年ごろまで夫と30回近く取材をした。ミャンマー人は普段はおとなしいが、突然激しくなることがあり、現地ではフィルム没収などのリスクがつきまとう。現地で長井さんに適切な協力者がいたかどうかが気がかりだ」と語った。

あらためて、ミャンマーで犠牲になった長井さんのご冥福をお祈りいたします。

在日米軍基地は確かに中に入るとアメリカそのものですが、ミリタリーIDを持っている人じゃないと買い物もできませんし、スポンサーがついていないとどこにも行けず、そもそもゲートの中にも入れません。オープンゲートの日には一般人も中に入れますが、軍事施設なので、不用意にあちこち歩き回ると先日の相模デポの拘束事件のようなことが起こってしまいますし、だいたい入口で持ち物ひっかき回されて卑屈になってるのも愉快なものじゃありません。

そもそも、米軍基地に入るのは、軍事マニア的な興味からではなく(中にはそういう人もいるでしょうが)、アメリカ人の生活ぶりを見てみたいというのがあります。彼らがどんなものを食べ、どんな服を着、どんな新聞やチラシを読み、どんな生活用品を使っているのか、そういったことを知り、できれば自分でも体験してみる。ドルでお金を下ろし、買い物をしてドルを使ってみるのも面白いでしょう。そういうことをしてみたいのです。だから、別に米軍基地である必要はないのです。

じゃあ「アメリカに行け」と言われそうですが、そうそうチョイチョイと行って帰ってこれるところでもないし、格安航空券の条件を考えると1泊旅行で行ってこれるところでもなく、最低でも1週間ぐらい会社を休んで行かなければなりません。1週間分泊まるホテル代も馬鹿になりませんし、行ったら行ったで時差ボケで眠たい思いをしなければなりません。飛行機に乗るのも、成田から一番近いハワイでも7時間ぐらいかかります。第一、家から成田まで行くのもめんどくさいですし。

なので、家からすぐに行ってこれるアメリカがあればいいなぁ、と思うわけです。

そこで提案なんですが、房総半島か伊豆半島あたりの沖合の誰も使ってない無人島を1個、日本の主権を放棄してもいいから、そこをアメリカ政府に買い取ってもらって、アメリカの領土にしてしまうのです。アメリカ本土からみれば離島ということで、ハワイ州の1つの郡にしてしまってもいいでしょう。そこにアメリカと全く同じインフラをつくり、スーパーマーケット、レストラン、ショッピングモール、ゴルフ場、リゾート施設などもアメリカと同じものを持ってくるのです。警察機能は、郡警察を用意するか、あるいは近隣の米軍基地の憲兵隊に来てもらってもいい。日本政府の主権が及ばないところなので、この中での犯罪行為はアメリカ法によって処断される。

日本からも船でいつでも行き来でき、通常の出入国手続きだけで、その島のあらゆる場所に行け、食事も買い物(当然、アメリカで売られているものがアメリカ本土の値段で買えること)もすべて自由にする。つまり、アメリカをすぐ手元まで引き寄せるような感じです。日本人は、週末だけ1泊旅行でやってきてもいいし、90日以内であれば連続して滞在してもいい。もちろん適当なビザがあればそれ以上の期間住むこともできます。

もちろんアメリカ本土からアメリカ人が移住してこれるようにし、住宅地も整備する。日本人が住むこともできるが、その条件は他のアメリカでの条件と同じとする。学校・幼稚園などもアメリカのものを建てる。大学も州立大学の分校をつくる。

手頃な無人島がなければ、舞浜のディズニーリゾートの地区をアメリカにしてしまってもいいんじゃないでしょうか。どうせ半分アメリカみたいなところだし、キャンプ座間ぐらいの広さがありますから、1つの町を造るぐらい十分可能でしょう。

まあ、そんなことが実現したら、近隣のアメリカ物好きな日本人がわんさと買い出しに押し寄せてきてその地区はパンクしちゃうでしょうけどね。一部の人(米軍人・軍属・ミリタリーワイフ)しか特権にあずかれない米軍基地には反対している人も、自分たちも恩恵を受けられるこういった特区は大歓迎なんじゃないでしょうか。

東京の近くばっかりじゃないかって? じゃあ、関西にも1つ作りましょうか。つぶれかけのエキスポランドをつぶして、その跡地に作るというのは(爆)。

(デポの名称が違っていたので、再度エントリ上げなおし)

米陸軍相模総合補給廠(Sagami Depot)で9/22~23の2日間、ミュージックフェスティバルということでオープンゲートがありました。私は2日目の9/23に行ってきました。

Sagamihara music festival

私のブログのMovable Typeを4.01にアップグレードしてみました。

管理画面も編集画面もがらっと変わって近代的(?)になりました。

そのあとインストラクションに従ってテンプレートの初期化、アーカイブマッピングの再設定などしてみたら、ページのルックスもがらっと変わってしまいました。

テンプレートの構造も以前とまるっきり変わってて、理解できましぇん。カスタマイズはかなり難しそう......。「HIMEMIKO*WEB」のほうは当分アップグレードしないで今のままにしておこう......。

人間ドックの結果が来ました。

肥満+軽症高血圧+胃炎+中性脂肪高値+高尿酸血症だそうです。

特に治療が必要というほどでもありませんが、とりあえず運動して体重を落とせということらしいです。

ビリーズ・ブートキャンプでも始めよっかな(爆)。

例によって、國學院栃木高校の文化祭を見に行ってきました。

The Sound of Music

ミュージカル部の今年の公演「サウンド・オブ・ミュージック」です。これはもうあまりにも超有名なミュージカルで、私もストーリーやミュージカルナンバーは熟知しているので何も言うことはありませんが、やはりレベル高い演技が光っていました。三枝幹音センセイは元気そうにしていましたが、劇団AMNはどうなっちゃったんでしょうか。公演の案内も何年も来ないし、ネットで検索しても何も出てこないので、もう活動してないんでしょうかね。いろいろお話しようと思いましたが、忙しいようで終演後のどさくさでどこかに行ってしまって、捕まえられませんでした。

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